INTRODUCTION

共産主義下のチェコでつくられた本格的SF映画にして、
その後のSF作品に多大な影響を与えた先駆的快作が初の劇場公開!

22世紀後半、生命探査の旅に出た宇宙船イカリエ-XB1は、アルファ・ケンタウリ系へと向かう途上で、漂流中の朽ちた宇宙船を発見する。それはかつて地球から旅立った宇宙船だったが、船内にあるのは謎の死を遂げた乗組員たちの死体。この難破船に積まれた核兵器の爆発により調査員たち数名を失うという悲劇の後、変わらず旅を続けるイカリエ-XB1。だが謎のダーク・スターによって乗組員たちはみな眠りについてしまい……。1963年にチェコで初めてつくられた本格的SF 映画『イカリエ-XB1』は、密室の中で徐々に狂気に汚染されていく乗組員たちのサスペンスフルな人間ドラマと、近未来のユートピア的世界を、独創的なスタイルで描き出した。そのオリジナリティ溢れる世界観は、『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック、68)にもインスピレーションを与えたという逸話を持つほど。このたび公開されるのは、2016年に修復されたデジタル・リマスター版。

チェコ・ヌーヴェルヴァーグの中心人物たちが結集した重要作品。

『イカリエ-XB1』が製作された1963年は、ミロシュ・フォルマン(『火事だよ!カワイ子ちゃん』)、イジー・メンツル(『厳重に監視された列車』)らに代表される《チェコ・ヌーヴェルヴァーグ》が本格的に幕を開けた年。本作にも、その重要人物たちが多数参加している。スタニスワフ・レムの小説『マゼラン星雲』をもとに脚本を執筆したのは、『ひなぎく』(66)の脚本に協力したパヴェル・ユラーチェク。衣裳デザインのエステル・クルンバホヴァーも、『ひなぎく』『パーティーと招待客』(66)などを手がけ《チェコ・ヌーヴェルヴァーグのミューズ》と呼ばれた重要人物。音楽は、ヤン・シュヴァンクマイエルやカレル・ゼマンのアニメーション作品で知られるズデニェク・リシュカ。監督のポラークは、子ども向けの人気シリーズ映画を始め、特撮映像作品を多く手がけ、チェコでは著名な映画監督。本作は、SF映画という独特の位置にありながらも、チェコ・ヌーヴェルヴァーグの潮流をたしかに感じさせる作品でもある。

*本作のレストアは2016年、プラハの国立フィルム・アーカイヴの監修のもと、ブダペストのハンガリアン・フィルムラボにて行われた。88分の本編は4Kにてレストア、音もオリジナルのモノラル音声を修復した。なお、レストアにおいては「作品を改善する」という行為は一切行っておらず、オリジナルネガに忠実に、そこに存在するものはすべて残す、という方針で行われた。また、エンドクレジットがないのは、60年代のチェコ映画ではクレジットを映画の冒頭に配するという常識があり、本作もそれに則ったためである。

イカリエ-XB1 デジタル・リマスター版

1963 年|チェコスロヴァキア|原題IKARIE XB 1|88 分|白黒|デジタル・リマスター
監督|インドゥジヒ・ポラーク
原案|スタニスワフ・レム(「マゼラン星雲」)
脚本|インドゥジヒ・ポラーク、パヴェル・ユラーチェク 撮影|ヤン・カリシュ 衣装|エステル・クルンバホヴァー 音楽|ズデニェク・リシュカ
出演|ズデニェク・シュチェパーネク〈アバイェフ艦長〉 ラドヴァン・ルカフスキー〈マクドナルド副艦長〉 フランチシェク・スモリーク〈アントニー〉 ダナ・メドジツカー〈ニナ〉 イレナ・カチールコヴァー〈ブリジタ〉 オットー・ラツコヴィチ〈ミハル〉

STORY

22世紀後半(2163年)、世界で初めて生命調査の旅に出た宇宙船イカリエ-XB1。目的地は、太陽に似ていて生命の存在が期待されるアルファ・ケンタウリ惑星系。イカリエ-XB1は15年後に地球へ帰還する予定だが、宇宙空間を高速で移動する乗組員は、時間の遅れにより、その間2歳ほどしか年をとらない。

船内には、制御室の他、スポーツジムや遊戯室もあり、長い共同生活をストレスなく暮らせるようになっている。乗組員は計40人。常に冷静に乗組員たちを見守るアバイェフ艦長。地球に残してきた妻レナの身を案じるマクドナルド副艦長。旧型ロボットのパトリックを相棒にする数学者のアントニー。少し口うるさいところのある社会学者のニナ。ピアノを弾くのが趣味のバーナード。どこか繊細そうな様子の青年ミハル。なかには、美人のブリジタや若い歴史学者のエヴァの気を惹こうとする男たちもいる。年齢も個性もバラバラな各乗組員たちだが、これから長い生活をこの船で共に過ごすのだ。

そんななか、マクドナルド副艦長は、乗組員のシュテフィーが仲間で夫のミレクの子を身ごもっていると知り、動揺する。 彼の妻である歴史学者のレナは、妊娠を理由に、この宇宙旅行への同行を諦めたからだ。 なぜ自分の妻は乗れなかったのか、と不満を漏らす彼に、艦長は「レナは自分より若いシュテフィーに譲ったのだ。この前例のない事態をみんなで支えなければいけない」と冷静に諭す。

数ヶ月が過ぎ、狭い船のなかでの生活に、情緒不安定になり苛立つ乗組員も現れた。 ある日、アントニーの誕生日を記念してダンスパーティーが開かれる。 久々の華やかなイベントを楽しむ乗組員たち。

だがそこに突如「緊急事態発生」の警報が鳴り響く。 どうやらすぐ近くに謎の彗星が現れたらしい。やがて彗星の正体が宇宙船だとわかり、反応がないことに戸惑いながらも、探査シャトルを飛ばすことを決める艦長。 シャトルに乗り込むのは、ヘロルドとペトルのふたりだ。 調査により、謎の宇宙船は、20世紀に地球から旅立ったロケットだと判明する。 中には、乗組員全員の死体がそのまま残されていた。 船に残された毒物や司令室の様子から、段々とこの難破船の顛末が浮かび上がる。 宇宙を旅する途中なんらかの事故に遭遇した船内では、酸素が急激に不足し、 司令官たちは、生き延びるために乗組員全員を毒ガスで殺してしまった。 だが残ったふたりも結局はお互いを殺しあい、船は全員の死体を乗せたまま宇宙を長い間彷徨っていたのだ。 自分たちの先祖の醜悪さに嫌悪を感じつつ調査を進めるヘロルドたちだが、 船に核兵器が搭載されていることに気づき、急いで船を去ろうとする。だが脱出まであとわずかというところで、ふたりを乗せたまま難破船は爆発してしまう。

ふたりの犠牲を出したことを嘆き悲しみながら、その後も旅を続けるイカリエ-XB1。エリックとミハルは、予備エンジン設置のため、船外で作業を進めていた。決して難しい作業ではなかったが、これが危機の始まりだった。

ようやくアルファ・ケンタウリを発見する乗組員たち。だがその直後に謎の電波星雲を発見し、アントニーが調査を始める。 突然、船内で意識不明となったミハルが見つかる。コンピューターは彼の死亡を宣言するが、ミハルはすぐに意識を取り戻す。安堵する乗組員たちだが、続いてエリックも突如意識を失い、船内に不穏な空気が流れる。原因がわからないまま、他の乗組員を原因不明の疲労感と眠気が襲っていく―。

STAFF

監督|インドゥジヒ・ポラーク
Jindřich Polák

1925年5月5日、プラハ生まれ。中等学校時代よりアマチュア劇団や映画館で仕事を手伝い、演劇・映画の世界と関わりを持った。1944年に中等学校を卒業、このときすでに映画脚本執筆の手ほどきを受けていたという。終戦後はカレル大学で法律を学ぶ。同時にニュース映画の脚本を書くようになり、やがて大学を中退して映画雑誌の編集者となる。1946年よりバランドフ映画撮影所に入所。間もなくオタカル・ヴァーヴラのほか、ヤーン・カダール&エルマル・クロスらの助監督を務め始める。その後、アンデルセンの有名な童話に基づく短編アニメーション映画『裸の王様』(56、未)を監督。長編映画(実写)の初監督作は、『サドル上の死』(59、未)。馬の飼育場を舞台に、騎手となることを目指して修行を積んでいる西部小説好きの少年が犯罪に巻き込まれる物語である。前述の『裸の王様』の脚本を手がけたイジー・ツィルクルとオリジナル脚本を共同で執筆している。

また1959年末期より、東ドイツで「道化師フェルディナント」を主人公とした児童(家族)向けテレビ映画の脚本と監督を務め、この台詞に一切頼らないパントマイム喜劇が人気を呼んで、以後テレビと劇場公開用映画の双方で連作されることになる。同シリーズがポラークの手を離れた後もフェルディナントを演じ続けたのは、『イカリエ-XB1』にも出演しているイジー・ヴルシュチャラである。1968年には、第二次大戦中に英国空軍の爆撃機に乗り込んで闘い、死んでいったチェコ人およびスロヴァキア人兵士を描いた『天の騎手たち』(未)を監督するも、この作品は「チェコ事件」のあおりで上映機会が制限されてしまった。1970年から1978年にかけては、児童向けテレビドラマ・シリーズ『タウ氏』(日本未放映)の脚本(オタ・ホフマンとの共同執筆)と監督を手がける。魔法の山高帽を被った主人公タウ氏が、さまざまな子どもたちが抱えている問題を解決してやるファンタジー喜劇である。1988年には同シリーズの映画版『映画タウ氏』(未)も監督した。

SFの領域では『イカリエ-XB1』のほかに、ナチ政権時代へのタイムトラヴェルを主題とした喜劇『明日目覚めた後にお茶でやけどするだろう』(77、未)や、彗星衝突の危機に見舞われた2484年の地球人が20世紀の天才学者に助けを仰ごうとするやはりタイムトラヴェルものテレビ喜劇シリーズ『訪問者たち』(日本未放映)を手がけている。最後の監督作は、遺産としてお化け屋敷を譲り受けた少女が魔法の時計を使って三人の幽霊を呼び寄せる家族向けファンタジー喜劇『カーチャとお化け』(93、未)とその続編(93、未)。以上に見られるように、概して家族向けのファンタジーや喜劇を得意としたが、他方でスパイ活劇や犯罪ものやSF等にも手腕を発揮した、優秀な職人監督である。2003年8月22日、プラハにて死去。

脚本|パヴェル・ユラーチェク
Pavel Juráček

1935年8月2日、プシーブラム生まれ。カレル大学の哲学科で学んだ後、1957年にFAMU(プラハ芸術アカデミー映画学部)に入学し脚本と劇作を学ぶ。FAMU在学中よりヤロミル・イレシュやヴィエラ・ヒチロヴァーやズデニェク・スィロヴィー(みな同学校の卒業生である)の短編映画に原案提供や脚本執筆で参加。以後、長編映画『狂気のクロニクル』(カレル・ゼマン、64)や『ひなぎく』(ヴィエラ・ヒチロヴァー、66)の脚本執筆にも参加した。核戦争後の世界を舞台にしたディストピアSF『ホテル・オゾンの八月の終わり』(ヤン・シュミット、67、未)の原案と脚本を手がけた。初監督作(ヤン・シュミットとの共同)は、短編映画『白黒シルヴァ』(61、未)。次いでやはりシュミットと共同で短編映画『支えが欲しい』(63、未)を監督する。初の単独監督作にして長編映画は『すべての若い男』(66、未)。若い兵士を主人公とした二部構成の作品である。しかし長編第二作にあたる不条理風刺喜劇『新入りの死刑執行人のための事件』(70、未)が公開後すぐに検閲にひっかかってお蔵入りとなり、「正常化」以降は監督作りを禁じられる。1977年に「憲章77」(チェコスロヴァキアの改革派が人権回復を求めて発表した宣言)に署名、翌年に西ドイツへ亡命し、同地で製作されたヴォルフガング・パンツァー監督のテレビ映画『無慈悲』(84、未)に原案を提供した。1983年に帰国するも映画界への復帰は叶わなかった。1989年5月20日、プラハにて癌により死去。脚本作にせよ監督作にせよ、幻想的・SF的主題や不条理劇風の主題を扱ったものが多く、この種の主題を好んでいたことがうかがわれる。死後、生前に執筆した(ジャック・ロンドンの短編小説に基づく)脚本がシュミット監督で映画化され、また彼がつけていた日記に基づいて中編映画が一本製作されている。後者に出演した息子のマレクも、主に助監督として映画界で活躍。

衣装|エステル・クルンバホヴァー
Ester Krumbachová

1923年11月12日、ブルノ生まれ。ブルノ芸術・建築・デザイン・アカデミーで、絵画とグラフィックデザインを学ぶ。卒業後の1954年より、チェコ南部の都市チェスケー・ブジェヨヴィツェの劇団でまず広報アシスタントを、次いで舞台美術および衣装デザイナーを務め始めた。その後、プラハ市立劇場を始めとするさまざまな劇場で美術担当および衣装デザイナーとして活躍。舞台での活動と並行して、SF喜劇『一世紀から来た男』(オルドジヒ・リプスキー、61、未)の衣装を担当し、映画界との関わりを持ち始めた。さらに、ホロコースト映画『五番目の騎手は恐怖』(ズビニェク・ブリニフ、65、未)で初めて映画の脚本を手がける(衣装デザインも兼任)。1963年に結婚したヤン・ニェメツ監督作『夜のダイヤモンド』(64)の衣装デザインを担当して以来、ニェメツ作品に欠かせない人材として『パーティーと招待客』(66)と『愛の殉教者たち』(67)にも参加。この二本は彼女の原案に基づく映画であり、夫ニェメツと共同で脚本を執筆したうえ、衣装デザインも担当している。しかしチェコスロヴァキアの抑圧的な体制を暗喩的に風刺した『パーティーと招待客』に関わった(彼女の中編小説が原作だとのこと)廉で、彼女はのちに映画作りを禁じられることになる。ニェメツとは1968年に離婚したが、しばらく協働関係は続けた。また、『ひなぎく』(66)で監督ヴィエラ・ヒチロヴァーと共同で脚本を執筆し、衣装デザインも兼任して以来、同監督の『楽園の果実を食べて』(70、未)と『牧神の遅すぎる午後』(83、未)にも脚本および美術で貢献した。1970年には最初にして最後の監督作(脚本・美術・衣装デザインを兼任)である風刺喜劇『悪魔技師の殺人』(未)を発表。そのほかわが国に紹介された作品では、『闇のバイブル/聖少女の詩』(ヤロミル・イレシュ、70)の脚本・美術・衣装デザインを手がけている。1994年には、自身についての著作『エステルの最初の本』(未邦訳)を刊行した。晩年は鬱病に苦しみ、アルコール依存だったといわれる。1996年1月13日、プラハにて死去。最後に(美術担当として)関わった作品は、(社会主義時代の)チェコスロヴァキアを舞台に孤児院育ちのロマ少年を主人公とした『マリアン』(ペトル・ヴァーツラフ、96、未)。2005年にヒチロヴァーがクルンバホヴァーをめぐる記録映画『エステルを探して』(未)を監督している。

撮影|ヤン・カリシュ
Jan Kališ

1930年7月7日、ブルノ生まれ。1949年から1953年までFAMUで学ぶ。在学中は学友たちが監督した短編映画の撮影を数本手がけた。卒業後は子ども映画スタジオでの撮影者の仕事を経て、1955年から2003年までバランドフ映画撮影所に所属。長編劇映画の撮影を手がけ始めたのも、バランドフ撮影所入所の年のことだった。並行して1965年以降、その死までFAMUの撮影学部の教師(最終的には教授)を務めた。カメラマンとしては、屋外風景の美しさをとらえる才能に定評があり、ドキュメンタリー作品も多数手がけている。それとは逆に、『イカリエ-XB1』を始めとするポラークのSF/ファンタジー映画で何度か特殊効果撮影を手がけ、幻想的な画作りも得意とすることも証明してみせた。ブジェチスラフ・ポヤル、オタカル・ヴァーヴラ、ズビニェク・ブリニフらの作品のほか、パヴェル・ユラーチェク監督作『新入りの死刑執行人のための事件』(70、未)の撮影も担当。「正常化」以後は、西ドイツでの仕事も増えている。キャリアの最後(1992年)に手がけた作品は、西ドイツのテレビドラマ・シリーズと、チェコのドキュメンタリー映画であった。2003年7月23日、73歳の誕生日を迎えて間もなくプラハにて死去。

音楽|ズデニェク・リシュカ
Zdeněk Liška

1922年3月16日、中欧ボヘミア州クラドノにほど近いスメチュノに生まれる。祖父も父もアマチュア・ミュージシャンだった。幼少時よりアコーディオンとヴァイオリンを学ぶ。十代後半で初めてオリジナルの歌曲を作った。プラハ音楽院にて、ルドルフ・カレル、オタカル・シーン、メトット・ドレジル、カレル・ヤナチェクの下で作曲および指揮を学ぶ。1944年に同音楽院を卒業。スラニーのアマチュア・オーケストラの指揮者を務めたり、フンポレツの音楽学校で教師をしたりした後、1945年よりズリーンの映画スタジオを拠点として活動を開始。翌1946年よりカレル・ゼマンやヘルミーナ・ティールロヴァーの短編アニメーションに音楽をつけ始める。1949年以降は、長編実写映画の音楽も手がけ始めた。アニメーションの領域での仕事のうち、とりわけ有名なのは、ヤン・シュヴァンクマイエルの初期短編アニメーション作品や、ゼマンの長編作品『ほら男爵の冒険』(62)および『悪魔の発明』(57)への楽曲提供である。「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」作品では、『大通りの商店』(ヤーン・カダール&エルマル・クロス、65、未)、『鳩』(フランチシェク・ヴラーチル、61、未)、『マルケータ・ラザロヴァー』(ヴラーチル、67、未)、『火葬人』(ユライ・ヘルツ、69、未)、『楽園の果実を食べて』(ヴィエラ・ヒチロヴァー、70、未)といった作品を手がけた。『エンゲルヘンと呼ばれた死神』(カダール&クロス、63、未)に提供した音楽は、国内で高く評価されている。また劇映画に限らず、紀行映画や短編宣伝映画や短編科学映画も手がけ、電子音楽を巧みに導入・応用してみせた手腕も賞賛された。手がけた作品数の多さ、楽曲の質の高さも相俟って、チェコで最もよく知られた映画音楽作曲家の一人である。1983年8月13日、プラハにて死去。

COMMENT

THEATER

エリア 都市 劇場名 公開日
北海道 札幌市 ディノスシネマズ札幌劇場 上映終了
東北 仙台市 仙台セントラルホール 上映終了
関東 新宿区 新宿シネマカリテ 上映終了
  横浜市 シネマ・ジャック&ベティ 近日公開
  川崎市 川崎市アートセンター 8月18日(土)
  宇都宮市 ヒカリ座 近日公開
甲信越静 長野市 シネマポイント 上映終了
  松本市 松本CINEMAセレクト 上映終了
中部・北陸 名古屋市 名古屋シネマテーク 上映終了
  金沢市 シネモンド 上映終了
関西 大阪市 シネ・ヌーヴォ 上映終了
  京都市 出町座 上映終了
  神戸市 神戸アートビレッジセンター 上映終了
中国・四国 岡山市 シネマ・クレール 上映終了
  広島市 横川シネマ 8月15日(水)
  松山市 シネマ・ルナティック 近日公開
九州・沖縄 福岡市 KBCシネマ 9月11日(土)
  日田市 シネマテーク・リベルテ 9月22日(土)
  宮崎市 宮崎キネマ館 9月16日(日)
  那覇市 桜坂劇場 上映終了